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Q 吸角ってなんですか?

吸角(きゅうかく)療法とはガラスの吸い玉を陰圧にして皮膚に吸い付ける治療方法です。カッピングや吸い球、抜罐(ばっかん)などとも呼ばれ、歴史の古い治療法です。血流改善や頑固なコリの解消などの作用に優れ、鍼やお灸と組み合わせいろいろな症状の解消に使います。                                                                 馬氏中医漢方クリニック(Praxis TCM-MA)

Q お灸は熱いですか?

熱さ加減は鍼灸師がコントロールいたしますので、肌の感受性や症状に合わせ適度な熱さに調節します。また灸もさまざまな種類があり、患者さんや症状によって使い分けます。

Q 鍼灸が体質に合わないということがありますか?

鍼灸治療が体質に合わないということは有りません。患者さんの体質や皮膚の過敏性、病気の具合などによって鍼灸の刺激量を適切に調節します。どんな症状でも患者さんの状態を正確に把握し適切な刺激量を与えれば必ず身体は良い変化を起します。 緊張しやすい人、痛みに敏感な人、お子様などでも、安心して治療できるように工夫をしております。

Q どんな鍼を使いますか?

多く使うのが直径0.18mmという非常に細い使い捨ての鍼です。使い捨て鍼のため感染の心配は一切ありません。鍼の太さは髪の毛より若干太いぐらいで、注射針とは違い刺入時に痛みは有りません。衛生面を考えてシャーレもすべて使い捨てを使います。

Q 通院回数はどれぐらいですか?

Q 通院回数はどれぐらいですか?

体質や症状、病気の経過などによってそれぞれです。一般的には治療効果をより確実なものにするために、初回から3~4回目まではなるべく治療間隔を空けずに、1~2週間に1回程度の受診をおすすめします。その後、徐々に治療間隔をあけます。

馬氏中医漢方クリニック(Praxis TCM-MA)

Q 未病について

未病について
今回は未病(みびょう)に関係のある条文をあげて未病の意味を考えたいと思います。

① 難経第七十七難
「七十七難曰、經言.上工治未病.中工治已病者.何謂也.
然.
所謂治未病者.見肝之病.則知肝當傳之與脾.故先實其脾氣.無令得受肝之邪.
故曰治未病焉.
中工治已病者.見肝之病.不暁相傳.但一心治肝.
故曰治已病也.」
通釈・・・おたずねしますが、上工は未病を治し,中工は已病を治す、ということが昔の医書にありますが、何のことでしょうか。
     答えて言う。未病を治すというのは、病邪が七伝をするのを、未然にふせぐことによって、病を治すことです。たとえば、肝の臓が病んでいるのをみて、これが危険な七伝をするときは、次の脾に伝えることを心得ていて、まず、脾気を充実させ、脾の臓が肝の邪をうけることのないようにするのです。これを未病を治すといいます。これのできる者が上工、つまり、優れた医人です。已病を治すというのは、治療するのに、病邪の七伝の心得が充分になくて、ただ、病んでいる臓だけを治そうとするのをいいます。たとえば肝が病んでいるのをみて、これが脾に伝えるかもしれないことはわからずに、ただ、一所懸命に肝の病を治そうと努力するものです。これを已病を治すといいます。このような者は中工、つまり、まぁまぁの医者です。

② 難経第五十三難
「五十三難曰、經言.七傳者死.間藏者生.何謂也.
然.
七傳者.傳其所勝也.間藏者.傳其子也.
何以言之.
假令心病傳肺.肺傳肝.肝傳脾.脾傳腎.腎傳心.一藏不再傷.故言七傳者死也.
間藏者.傳其所生也.
假令心病傳脾.脾傳肺.肺傳腎.腎傳肝.肝傳心.是母子相傳.竟而復始.如環之無端.故言生也.」
通釈・・・おたずねしますが、古医書に「七伝は死亡し、間臓は生きる」とあるのはどういうことでしょうか。
     答えて言う。七伝とは相尅関係に病が伝わっていくものをいう。間臓とは相生関係に病が伝わっていくものをいう。どうしてこういうことがいえるのか。
例えば心病は肺に伝わる。肺から肝に行き、肝から脾に行き、脾から腎に行き、腎から心に行く。このように相尅関係で病が伝わる場合を七伝というのだが、腎が病むと心に伝えようとするが、心は最初に病んでその機能が変化しているのでもう伝えるわけにはいきません。病が七伝するときは、賊邪になるので、このように臓の障害をうけるのがはなはだしい。だから死病という。
     間臓はこれに対して相生の方向に伝わります。これは微邪なので、病邪の負担をかわるがわるに肩がわりするだけで、臓自体の機能が変化するほどの傷害はうけないので、死ぬようなことはありません。

③ 金匱要略臓腑経絡先後病脈証第一第一条
「問曰.上工治未病.何也.
師曰.夫治未病者.見肝之病.知肝傳脾.當先實脾.四季脾王不受邪.即勿補之.中工不曉相傳.見肝之病.不解實脾.惟治肝也.夫肝之病.補用酸.助用焦苦.益用甘味之藥調之.酸入肝.焦苦入心.甘入脾.脾能傷腎.腎氣微弱.則水不行.水不行.則心火氣盛.則傷肺.肺被傷.則金氣不行.金氣不行.則肝氣盛.則肝自愈.此治肝補脾之要妙也.
肝虚則用此法.實則不在用之.經曰.虚虚實實.補不足損有餘.是其義也.餘藏準此.」
通釈・・・おたずねしますが、上工(名医)は未病を治すというけれど、どういうことですか。師が答えて言われるには、名医は肝病をみた場合に、肝は脾を克するという道理にもとづいて、肝が脾を侵犯して、伝変して脾病となるかもしれないと考慮するはずである。しかしこれも不変固定的なものではない。一年四季の中の土用のように、脾気が盛んで、運化機能も正常であれば、旺盛な正気は邪に克されることはないので、肝病が伝変することはない。この場合には脾を補益する必要はないのである。また、一般に臓病の邪が実していれば伝わりやすく、虚していれば伝わりにくい。

④ 金匱要略臓腑経絡先後病脈証第一第二条より
「若人能養愼.不令邪風干忤經絡.適中經絡.未流傳腑臟.即醫治之.
四肢才覺重滯.即導引吐納.鍼灸膏摩.勿令九竅閉塞.更能無犯王法.禽獸災傷.房室勿令竭乏.服食節其冷熱.苦酸辛甘.不遺形體有衰.病則無由入其?理.?者.是三焦通會元眞之處.爲血氣所注.理者.是皮膚臟腑之文理也」
通釈・・・人が自然界の中で生長し、飲食し、生活するには、すべて外界との接触がある。天の気候が正常なら、万物はよく生長し、人体に対しても有益である。ところが天の気候が不正常となると、万物を損傷し、人体に対しては致病の原因となる。ただし致病の原因が疾病を発生させるか否かは、なんといっても人体の正気の如何によるのである。もしも五臓の元真(正気)が充実してさえいれば、やすやすと異常気候の影響を受けることもなく、したがって発病することもない。反対に正気が充実していないと、発病してしまうのである。各種疾病の原因は、結局は大きく三つの方面に分けられる。一つは疾病が経絡に侵入して臓腑に伝わり、臓腑病変を引き起こしたものである。二つめは、疾病が皮膚を侵犯し、手足四肢と耳、目、鼻、口、前陰、後陰などの九竅の血脈が塞がり不通となった「皮膚所中」の病変である。三つめは房事過度や各種の金物刃物で身を傷つけたり、虫獣などの外傷による疾病である。医師は治療の際にそれぞれの原因によって異なった処理を行わねばならない。もし邪が経絡を侵犯しても、まだ臓腑に伝わっていなければ、すぐに治療を行わなくてはならない。邪が皮膚に浸入し、四肢に重苦しい不快感があれば、鍼灸、按摩など各種の方法を用いて病邪を排除し、九竅を閉塞させないようにし、同時に色々の方面の保養にも注意しなくてはならない。このようにして常に外邪侵襲の機会を防げば、発病しないで健康を維持することができる。
 
⑤ 素問四気調神大論第二より
「是故聖人不治已病治未病、不治已乱治未乱、此之謂也。夫病已成而後薬之、乱已成而後治之、譬猶渇而穿井、闘而鑄錐、不亦晩乎」
通釈・・・また聖人といわれる人は、完全に発病してしまった患者を治療するのではなくて、当然発病するであろうことを予測して、先手を打って治療を施すものである。また、この意味を拡大して、天下を治める場合に適用すれば、世の中が乱れてしまって、どうしても平定しなければならなくなってから手をつけるのではなくて、乱世となるであろうことを前もって察知して、未然に防ぐ政治を行うものである。大体、病になりきってしまた後で、どんなに良薬を与えても、あるいは乱世になってしまた後でどんなに善政を布いても、それは、ちょうど、のどが渇いてたまらなくなってから、慌てて井戸を掘ったり、戦闘がはじまってしまってから、あたふたと兵器をつくったりするようなものであって、これが手遅れでないとどうしていえるだろうか。

考察・・・未病に関する条文を調べてあげてみました。おおまかに言うと、「未病を治す」というのには二つの意味があるように思います。一つは発病を未然に防ぐということ。もう一つは発病後の転変を防ぐということです。一つ目の考え方は、ここには条文をあげていませんが、「素問」の上古天真論では精神と肉体を養うことの重要性を強調し、体力と気力が充実していれば、人は外界の環境の変化に適応することができ、病気にたいする抵抗力も備わってくるというものや、上にあげた④の金匱要略臓腑経絡先後病脈証第一第二条のなかでは、養生と摂生の必要性を強調し、具体的な方法も説明され、体の内から正気を養い、邪気が外から侵入するのを防ごうとするものであると言っています。⑤の素問四気調神大論第二でも病気にならないように予防することを言っています。
     これに対し、二つ目の「未病を治す」とは①の難経第七十七難にあるように、病が未だ伝わらないうちに治すということを言っています。また③の金匱要略臓腑経絡先後病脈証第一第一条では、未病を治すための方法とその原理を五行説によって説明しています。

Q 舌診について

○ 舌診について 

北京中医薬大学中医診断系教授  梁 嶸(りょうこう)


* 本稿はもと日中医学協会の『日中医学』誌二〇〇七年九月号に掲載されたが、広く漢方界に紹介すべき価値が高い。よって著者と『日中医学』誌の同意を得て、本誌に転載するため表現を改め、参考文献・中文要旨等を新たに加えた。翻訳者:真柳 誠(茨城大学)
* 舌診は中国医学の重要な診断法で、江戸時代でも深く研究されていた。しかし両国の舌診には研究方法や応用等に相当の違いが見られる。そこで双方を比較検討した結果を概説したい。

・ 舌診の歴史
現存する中国最古の舌診書は元代一三四一年成立の杜清碧(とうせいへき)『敖氏(ごうし)傷寒金鏡録』で、それ以前は望診・聞診・問診・切診の四診しかなかった。『傷寒論』には、これを象徴する記載が見える。三陰三陽各篇のタイトルに「脈証」の二字を付けているのである。これは望診・聞診・問診による情報を「証」に総括し、その「証」を脈診で判断することを意味しよう。中国医学では、気血の動きが脈状に直接反映され、脈診で臓腑の様子が分かると考えるからである。

ただし傷寒などの急性病で病態が複雑あるいは重篤な場合、脈状の変化が大きすぎるため、脈診による寒熱・虚実の診断や鑑別診断の有意性が下ってしまう。それゆえ真寒仮熱や真熱仮寒などの複雑な病態の場合、いかに「脈を捨てて証に従う」ないし「証を捨てて脈に従う」かの議論が後世なされた。

舌診は開発された当初、外邪による熱証の診断に貢献している。つまり舌色が赤ならば体内に熱があると分かり、これで裏実熱証を正しく診断する率が大きく上がった。たとえ四肢厥冷があっても、舌色が赤ならば熱証と判断できる。こうして外感病の診断と鑑別診断における舌診の重要性が認められた。のち風・寒・暑・湿・燥・火の邪が舌に各々示す特徴も探求され、清代の葉天士『温熱論』では舌診が衛気営血を弁証する重要素にまでなっている。

清代には梁玉瑜(りょうぎょくゆ)『舌鑑弁正』(一八九一)(図1)のように、臓腑経絡の舌部位配当説も提唱された。これは舌と臓腑経絡の関係を説くため、内傷病にも舌診を応用できるようになる。のちに臨床を通して舌の淡白色と気血虚弱の関係が見出されると、体内の正気つまり臓腑・気血の損益が舌診で観察できることになり、舌診はようやく脈診と同様に体内を観察する窓口となった。生理面で舌と臓腑の相関論が確立されると、邪気の性質と正気の虚実が織りなす病理状態も的確に舌状の変化に反映されることが認められる。こうして舌診は中国医学において、ようやく論理と方法を完備した診断法となった。

二 舌診の日本伝来と発展
『日本では『傷寒金鏡録』が承応三年(一六五四)に初めて和刻され、その写本も多数流布しており、これらの検討結果、江戸末期まで舌診にはおよそ三つの流派が形成されていたことが分かります。

(一)傷寒系舌診

 傷寒系の流派は主に元代の『敖(ごう)氏傷寒金鏡録』、明代の申斗垣(しんとおん)『傷寒観舌心法』(別名『傷寒舌弁』)、清代の張登『傷寒舌鑑』(一六六八)に基づいています。
また江戸中期に勃興した古方派も『傷寒論』処方の運用と舌診を緊密に結び付けていました。
代表書には東山邦好『池田家舌函(ぜつかん)口訣』(一八〇四)(図2)、能條保庵『腹舌図解』(一八一〇)、土田敬之『舌胎図説』(一八三五)などがあります。彼らの共通特徴には以下の五点があります。
①『傷寒論』を尊崇 ②五行説と臓腑論への反駁(はんばく=反論) ③傷寒病の舌状が専門 ④『傷寒論』処方で治療 ⑤絵図の重視と彩色舌診図の多さ

(二)温病系舌診
温病系舌診のルーツは清初の呉又可『温疫論』(一六四二)にありますが、実際には前述の『傷寒舌鑑』に基づき研究されていたようです。代表書には文化年間成の岡本昌庵『温疫考観舌録』と著者不詳『瘟疫診舌』があります。温病派舌診の特徴には、①『温疫論』を尊崇 ②『傷寒舌鑑』の傷寒関連論説を温疫に転用する ③逹原飲(たつげんいん)・柴葛解肌湯など温病の治療処方を頻用する、などの点があります。
※ 温疫=温病の中で強烈な伝染性を持ち、流行を引き起こす疾病の一種で、勢い良く迅速かつ猛烈に感染し、病状は重く、一般的な温病と比較すると危害は更に甚だしい。
(三)痘疹系舌診
痘疹(天然痘)系舌診の関連資料は、日本に渡来した中国医家・戴曼公(たい  まんこう)(一五九六~一六七三)を介して伝来している。
曼公は池田正直(一七三四~一八一六)に伝授し、正直から子孫へと流布していった。
これは唇舌による痘疹の診察法といえる。

痘疹舌診の特徴は、文章内容のみならず特有の唇舌図譜にも見られ、その影響が非常に大きかったことを示す次の記載もある。
1.書肆(しょし=書物を出版したり、また、売ったりする店。書店。本屋)の池田氏に蔵するところの唇舌及び面部の図訣を盗み、之を謄写(とうしゃ=書き写すこと)して、鬻ぎ(ひさぎ=「鬻ぐ」は「ひさぐ」。売る、あきなう)て以て利を貪るものあり。草沢の医、其の贋造(がんぞう=本物に似せてつくること。偽造。贋作)図訣を得て、深く之を珍蔵し、池田の室に入り、戴氏(たいし)の奥を窺いたりと称し、其甚しきは遂に池田某を偽証するものあるに至る。
すなわち池田流痘疹書が最も流行していた時、ある書店の人物が池田家の書室に潜入して唇舌図譜と面部図訣を盗みだし、これを謄写・復刻して利を得た。のみならずこの贋造書を得た町医者には、戴曼公の所伝を得た池田家の門徒と詐称したり、池田某の名で開業した者までいたというのである。

痘疹舌診の意義は、唇舌変化に基づき、発熱と丘疹・疱疹・膿疱・痂皮という発疹各段階における、証の軽重・表裏・虚実・寒熱などや予後を判断することにある。具体的な舌図は、常舌一枚・舌候八枚・陽舌一三枚・陰舌は一三枚(実際は一四枚)・死舌五枚がある。

痘疹舌診の特徴には三点が挙げられる。①伝統的な脈診ではなく、唇舌で痘疹を診断すること ②色彩鮮やかで独特な唇舌図譜を有すること(図3)で、後これら図譜は痘疹舌診のシンボルとなった
③陰舌と陽舌で証を分類する大綱をうち立てたこと。これゆえ痘疹舌診は日本で独自に発展した流派と見なければならない。

三 舌診研究から見た中国と日本との相違
上述の発展経緯から分かるように、中国の舌診は診断学としての体系化を重視する。すなわち舌と臓腑・経絡の関連、舌における臓腑の相関部位、舌象の分類方法を研究し、舌象と寒熱・虚実との関係等を検討してきた。

他方、日本は舌象―病状―処方という対応関係の探求を重視していた。この舌診図に対する態度から、中日の舌診研究の相違がはっきり分かる。
(図4)のように中国で最初の舌診書『敖氏(ごうし)傷寒金鏡録』(別名『傷寒点点金書』)は本来、彩色舌図がメインの書だった。

しかし明代に初めて刊行された時、舌図は黒白の印刷となり、清末には彩色舌図を載せる舌診書がほとんどない。
これは絵図機能の軽視であり、舌診図は単なる一形式となって画像効果を発揮できなかった。(図5)


中国と比べて日本の舌診図で最も注目されるのは、色彩の重視とその表現力だろう。
日本で流布した『敖氏傷寒金鏡録』には彩色本が多い。中には中国舌診書の記述に基づき彩色されたものもある。(図6)
中国舌診図に色彩記載がない場合、間違って彩色されることもあった。また昭和時代には文字とともに印刷された図に彩色された場合もある。(図7)

 

『池田家舌函口訣』のように、多くの彩色舌図があるばかりか、理解しやすいよう文中にも彩色図が描き込まれていた書もある。(図8)
 最も注目すべきは痘疹派の絵図(図9) で、色鮮やかな舌図に多数の点が描かれている。これは熱病時に腫脹する舌乳頭の描写に相違ない。これら誇張された舌乳頭は誇張された色彩と相まって、つよい視覚刺激と印象を与える。

 

四 舌診研究が相違した背景
なぜ中日両国では舌診絵図の重視レベルが違うのだろうか。これは中国と日本の舌診論から理解できる。清・梁玉瑜(りょうぎょくゆ)の『舌鑑弁証』にこうある。
原本図像の大いに拘る(かかわる)こと、中は黒にして辺は白、右は黒にして左は白、白中に双黄の類の如し。病舌が顕す所の色、其の界限は断じて截然(さいぜん=区別がはっきりしているさま)と清を分つに非ず。惟だ(ただ)淡に偏じ濃に偏じる処、自ら不同の状あり。閲すること歴深の者、必ず能く之を知る。閲する者、図に泥し以て観ること勿れ。
このように、舌図は実際と異なるので拘泥してはならないという。
明末清初の王景韓『神験医宗舌鏡』には、「学ぶ者、此にて心目了然たらば、然る後、線索は手に在りて円通活発し、難治の症なし」とあり、図は入り口に過ぎず、その後の融通無碍(=考え方や行動にとらわれるところがなく、自由であること)が肝要と説く。清末の楊雲峰『臨症験舌法』もこういう。
(傷寒)金鏡(録)の三十六舌、当に其の意を参して其の法に泥すること勿れ。更に三十六舌の未だ及ばざる所の者有らば、須く意を以て之に通会すべし。…理の円くして法の活かば、以て金鏡の未だ合せざるを裁つべく、而して并び(=ならび)に必ずしも三十六舌たらざる也。之を分けに分けるも、其の法は五行を出でず。之を合わせに合わすも、其の理は総じて太極(=万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとする)に原づく。
以上のように中国医学での舌診図は、理解を助けるための一種の比喩に過ぎないという。その画像イメージに拘泥して舌診すべきではなく、「五行」と「太極」の「理」にもとづく「意」で舌診を理解し、把握すべきと考えていたのである。しかし中国の医家が強調する以上の点を、江戸時代の医家は逆に拒絶した。能條保庵(のうじょうほあん)の『腹舌図解』にこうある。
腹舌ノ診候モ大凡(=おおよそ)、本書ニ述ブト雖モ、初学之徒一一理会セザルモノアリ。コレガ為メニ、又腹舌図解一巻ヲ作リ、本書講シ畢(ひつ=おわるの意))ツテ、是ヲ披ヒテ、一々サシ示サル。是ニ於テ、腹舌診候、及ビ病症ノ形容、方症ノ軽重等ニ至ル迠(まで)、ソノ相対スルコト、憶度(思う度合)ノ彷彿(ほうふつ)タルナク、虚論ノ疑惑スルコトナク、一タビ此ヲ目撃スレバ、手ニ得、心ニ応ズルガ如クナリ。…舌色ハ、目ヲ以テ之ヲ察シ、腹中ノ虚実ト脈候ハ、手ヲ以テ之ヲ診シ…。手ト目トヲ以テ、実験スル医術ヲ得テ、…陰陽病症ノ応見スル実徴ノミヲ惟(=思う)ク視テ、虚論臆度ノ疑シキヲ悉ク去リ…。
ここで繰り返される「虚論」「臆度」とは中国医学の五行説と臓腑説を指し、当時それらを「疑惑」「疑シキ」と認識していたことが分かる。感覚器官で検証できない両説は医学理論たりえず、根拠のない推測とされたのである。
これに代わるのが「手ト目トヲ以テ実験スル医術」だった。
このように日本は江戸時代になると明らかに、中国医学の全てには従うことがなくなり、独自の漢方医学が形成されるようになる。中国と日本のこれら舌診図に対する見解には、まさに両国医学概念の相違が反映されているといわねばならない。ならば何が相違するのだろうか。

(一)「理」を重視する中国医学
中国医学で最も重要なことは基本理論の掌握とされてきた。
医学基本理論の中核は陰陽五行・臓腑経絡などである。
儒学では董仲舒(とうちゅうじょ・前176頃~前104頃)以来、世界を構成する根本物質は陰陽五行に従うと考え、陰陽五行思想は自然界と人類社会の法則・規則・秩序だとする。中国医学も同様に、陰陽五行は人体の生理と病理を知るための究極的真理とする。
先に引用した「必ずしも三十六舌たらざる也。之を分けに分けるも、其の法は五行を出でず。之を合わせに合わすも、其の理は総じて太極に原づく」は、まさにそれを述べている。

こうした思想のため、中国では医学の認識論と方法論に技術が従属すると考える。物事の処理方法には処理する人物の世界観が反映されるように、医学観は何よりも重要とされた。正確な医学思想があれば熟達し、自在に疾病を治せると考える。それゆえ中国医学の臨床では、理→法→方→薬の順に診察と投薬がなされる。診察では、まず病証の陰陽五行・臓腑経絡・病因病機などから病の属性を判断するが、これは具体的な処方や薬物に優先する事項なのである。

(二)「術」を重視する漢方医学
日本の伝統医学すなわち漢方医学が独自性を形成した要素の一つに、レベルは多様だが中国医学理論の否定がある。
代表人物は吉益東洞(一七〇二~七三)だった。
彼は五行説と臓腑説を否定したばかりか、提唱する※「万病一毒」説で中国の病因病機説をも否定する。それゆえ病状と治療薬の記述が詳細な『傷寒論』に基づき、処方と病状との対応関係が探求された。
一方、『傷寒論』だけでは症状鑑別診断に不足があるため、同時に腹診および舌診という触覚・視覚による客観的診断技術も日本で独自の発展をみた。現存する『腹舌図解』や『百腹図説』などは、そうした図と文を兼有する代表書といえよう。
さらに漢方では「方証相対」を重視し、処方の約束化も昭和以降顕著になる。
そして症状ごとに薬物を加減する中国式はあまり行われず、同一処方ならば誰もが同じ構成薬の同じ分量を使用する傾向が強まった。この結果、治験が処方ごとに蓄積されて方証相対の知見が深化し、それら学術知見は漢方の普及と発展も促進している。
当過程において、経験を学術に昇華する舌診図の意義は大きい。
図を「一々サシ示」し、「腹舌診候、及ビ病症ノ形容、方症ノ軽重等」を語る方式ならば、かなり正確に医療技術を学習者に伝授できるからである。

※「万病一毒」説・・・生体になんらかの理由で後天的に生じた毒が疾病の原因であり、この毒を毒薬で攻めて駆除すれば外邪も侵入することができないといい、毒を去ることが万病を根治する必須条件であるとした。また、東洞は眼に見えるもの、手でつかむことのできるものでなければ相手にしないという実証主義に立っていたから、この体内の毒も、眼で見、手でふれるものでなければならないのである。そこで、体内に毒があれば、その証拠が体表に現われ、その多くは腹診によって確かめることができるとした。これにより傷寒論系の腹診が発達をとげた。

五 結語
もし医学修得の境地を語るならば、それは万病治療の「万能鍵」を掌握することだろう。そして漢方医学は、一つ一つの鍵で迅速かつ正確に対応する鍵を開けることに研究の重点があった。これゆえ舌診図に対する中国医学と漢方医学の異なる態度には、具体的学術観の分岐が見られた。のみならず、両国伝統医学観の相違も投影されていた。このように両国伝統医学を見わたし、相互の長所で相互の短所を補えるよう努めることも、舌診史に限らず、比較医学史研究の一意義といえよう。

 

○ 現代における舌診の実際
東洋医学の世界では、舌はその人の体質や内臓の状態を映し出す”鏡”であると考えられており、舌の状態を観ることでその人の体質や状態を知る手段のひとつとされています。
具体的には、「舌の形状」、「苔の状態」、「舌色」「舌裏の静脈」などを観ます。正常な人の舌は、きれいなピンク色で、薄い白色の苔があり、舌表面には適度な潤いがあるのが理想とされます

 

・ 臓腑分画法(五臓分画法)

舌根・・・腎
舌辺・・・肝・胆
舌体・・・脾・胃
舌尖・・・心・肺

・舌体の形態

胖舌(はんぜつ) 舌体が腫れて大きいもの 陽虚、熱盛など
瘦舌(そうぜつ) 舌体が痩せて小さく薄いもの 気血両虚、陰虚など
裂紋舌(れつもんぜつ) 舌体の表面に亀裂があるもの 陰虚、血虚など
歯痕舌(しこんぜつ) 舌の縁に歯の痕があるもの 気虚、脾虚など
芒刺舌(ぼうしぜつ) 舌体に棘状の隆起があるもの 熱邪、臓腑の熱(火)など
硬舌(こうぜつ) 舌体が強直し、舌運動が円滑でないもの 中風の前兆、高熱、痰濁など
軟舌(なんぜつ) 舌体が軟弱で、伸縮無力なもの 気血両虚、陰虚など
顫動舌(せんどうぜつ) 舌体が震えて止まらないもの 気血両虚、陽虚など
歪斜舌(わいしゃぜつ) 舌を伸ばした時に舌が歪むもの 中風、中風の前兆

・舌質の色

淡紅舌 正常な血色をしているもの 正常、裏証、軽い熱証
淡舌(浅紅舌) 正常な血色より淡白なもの 陽虚、血虚、寒証
紅舌(鮮紅舌) 正常な血色より赤いもの 実熱、陰虚による虚熱
絳舌(深紅舌) 舌色が深紅であるもの 熱極、陰虚による虚火
紫舌(青紫舌) 舌色が青紫であるもの 裏証、熱極、寒極

・舌苔

白苔 白い苔 正常、表証、寒証
黄苔 黄色い苔 熱証、裏証
灰苔 浅黒色の苔 裏熱証、寒湿証
黒苔 黒い苔または焦げた苔 裏証、熱極、寒極

・舌苔の厚さと苔質

薄苔 苔が薄く見底できるもの 正常、表証、虚証、邪気が弱い
厚苔 苔が厚く見底できないもの 裏証、実証、邪気が強い
潤苔 苔に潤いがあるもの 正常(津液の未損傷)、湿邪
燥苔 苔が乾いているもの 津液の損傷、陰液の損傷、燥邪
滑苔 苔の水分過多 水湿の停滞
膩苔(じたい) 苔がねっとりし、剥離しにくいもの 痰飲、湿濁
腐苔(ふたい) 苔がおから状を呈し、剥離しやすいもの 食積、痰濁
剥離苔(はくりたい) 苔の一部、または全てが剥離しているもの 気陰両虚

見底とは、薄い舌苔を通して舌体が見えること。見底できるものを薄苔、見底できないものを厚苔といい、薄苔から厚苔に変化することは病邪が表から裏に病状が進行し、厚苔から薄苔に変化することは病邪が裏から表に出てきて病状が好転することを意味します。

・ 舌と苔の状態
自然界と同じで湿気が多いところにはたくさんの苔がへばり付きます。人間でいえば内臓(特に胃腸)に未消化物や余剰水分が多いと舌の表面に分厚い苔が現れ、舌全体もボテッと膨らんだ状態の形状になります。そして浮腫んだ状態の舌には横側に歯型が付きやすくなります。
逆に、水分不足(お年寄りに多い)の乾燥状態だと舌に横側や中央へ裂紋(れつもん)といってひび割れが現れます。このようなタイプの方の舌は細く痩せて先端が尖ったような形状になります。

・舌・苔の色
次に舌と苔の色を観ます。舌と苔の色により寒・熱証を判断します。
まず舌の色は大きく、赤(鮮赤)・ピンク・白(薄いピンク)の3つに分類できます。健康な状態であればピンク色をしています。
赤(鮮赤)色が濃い程「熱証」であることを現し、のぼせやほてり感があり、口内炎が出来やすい、潰瘍などの消化器系に炎症を伴うケースが多いようです。
逆に、舌色が白っぽいほど寒証を現し、手足の冷え、貧血、下痢傾向にあります。
苔の色は体(特に胃腸)へ貯まった余剰水分の状態を表します。苔の色が白っぽいと冷たい水分(寒湿)が停滞しており、苔の厚みでその量が多い少ないを判断します。
また苔の色が黄色味がかっていると酒飲みに多い黄色っぽい舌苔がベットリと付着している方は、体内に溜まった余剰水分に熱が加わった湿熱を表し、慢性的な状態であり、消化器や口腔粘膜に炎症が起こりやすく、口内炎、胃・十二指腸潰瘍、胸やけ、ゲップ、口臭、口が粘る、口が苦い、酸味が込み上げるなどの症状が起こりやすくなります。

※現在、日本で行われている舌診は、現代中医学の舌診であり、古典にある舌診ではありません。
日本の鍼灸師が舌診を行っている場合、ほぼ全てが中医学の影響であり、日本古来の舌診は現在、存在しないといえます。

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